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セクシャル・ハラスメントへの対応

プライバシーは完全に保護されます。一人で悩まず、相談しましょう。友人等の代理人による申し立てもできます。窓口は、各教員および教務係です。なお、この窓口では、部落差別・民族差別・女性差別など他の人権侵害の相談もできます。

商学部・経営学研究科では、これまで人権侵害に対して毅然たる態度で臨んできました。しかしながら、セクシャル・ハラスメント(性的いやがらせ)については、社会的にもいまだその問題性の認識に差のあるのが現状です。以下では、セクシュアル・ハラスメントに対する商学部・経営学研究科の考えを説明します。

基本的態度について

    学生・教職員は、大学における教育研究・課外活動等のあらゆる場において、人権と教育研究に関わる権利を互に尊重しあいながら、学園生活を享受する権利と義務を有しています。

    特にセクシュアル・ハラスメントの問題性については、各人の理解に深浅の差があるのが現状であり、これゆえ啓発活動によって事態の発生と深刻化を未然に防ぐことが何より必要と考えます。

セクシュアル・ハラスメントとは何か

    セクシュアル・ハラスメントとは、相手方の意に反した性的な性質の言動を行い、それに対する対応によって修学または教育研究を行ううえで一定の不利益を与えたり(これを代償要求型セクシュアル・ハラスメントといいます)、また、それを繰り返すことによって修学または教育研究環境を著しく悪化させたり(これを環境悪化型セクシュアル・ハラスメントといいます)することです。

    このように、セクシュアル・ハラスメントは、人権侵害及び修学または教育研究に関わる権利の侵害であり、許されません。

セクシュアル・ハラスメントの神話と現実

    神話:セクシュアル・ハラスメントは、挑発的な服を着ている女性にのみ起きる。

    現実:セクシュアル・ハラスメントは、男女教師学生職員を問わず誰にも起こりうる。

    神話:被害者が「やめてください」と言えば、セクシュアル・ハラスメントはおさまる。
    現実:被害者の多くは何度も「やめてください」と言っているが、ほとんど効果はない。

    神話:セクシュアル・ハラスメントはたとえ放置したとしても、やがておさまるものである。
    現実:いいえ、おさまらない。一般にセクシュアル・ハラスメントの加害者は、自分から
        はやめることはしない常習犯である。セクシュアル・ハラスメントを放置することは、
        むしろセクシュアル・ハラスメントを深刻化させることになる。

    神話:セクシュアル・ハラスメントは大した苦痛ではない。セクシュアル・ハラスメントに
        抗議するのは、ユーモアのセンスに欠ける。
    現実:セクシュアル・ハラスメントは屈辱的で侮辱的であり、大きな苦痛を伴う。

行動をおこそう

    先延ばしにしてはいけません。過ぎ去るのを待とうとしてはいけません。先延ばしにしても、セクシュアル・ハラスメントを深刻化させ、対処を困難にするだけです。教員のすべてが窓口となります。また教務係でも結構です。窓口となった担当者以外に対しては、匿名を貫くことができます。

セクシャル・ハラスメントを未然に防ぐには

    不快な思いをしたら、すぐにそのことを告げるようにしましょう。本人に悪意がなく、単なる誤解にもとづく場合でしたら、基本的にはそれで解決することができるはずです。日ごろの対話が、セクシャル・ハラスメントを未然に防ぎます。

資料

「被害者にも加害者にもなりたくない」

商学部 女性問題委員 小林 哲

『人権問題NEWS』No.23より転載

インタ−ネットとファカルティ・ポリシ−

 今年10月、待ちに待った学術情報センタ−が開設し、大阪市立大学の情報環境は一気に時代の最先端に躍り出ました。なかでも、インタ−ネットという新たな情報取得・情報発信メディアを手に入れたことは、世界に開かれた大学を目指す市大にとって大変意義深いことだと言えます。

 どの学部でもそうしょうが、商学部もこの新しいメディアを使った企画を検討しており、その柱のひとつにファカルティ・ポリシ−の学部内外に向けての発信があります。ファカルティ・ポリシ−というとちょっと堅苦しい響きがありますが、要は学生や教員また事務の方も含め学部に関係する人たちが快適に過ごすために何が必要かを考え、それが達成できる環境整備をしようというものです。現在、学部内にファカルティ・ポリシ−委員会を設置して、インタ−ネットでの研究教育をも念頭に置き、学生諸規定の見直しも含め検討している最中です。

 実は、私もそのメンバ−のひとりなのですが、参考のため諸外国の主要大学のポリシ−をインタ−ネットで見ると、必ずといっていいほど、またかなりのスペ−スを割いてセクシュアル・ハラスメントに関する事項が取り上げられています。

セクシュアル・ハラスメントに対するいくつかの誤解

 なぜ、セクシュアル・ハラスメントが大学のポリシ−において重視されているのでしょうか。

 大学という場に限るならば、セクシュアル・ハラスメント(以下、ハラスメント)とは、相手の意に反して性的な言動を行い、その対応によって修学または研究教育を行う上で一定の不利益を与えたり(代償型ハラスメント)、また、言動を繰り返すことで修学または研究教育環境を著しく悪化させる(環境型ハラスメント)ことをいいます。ハラスメントは、"セクハラ"として自由国民社の選ぶ流行語大賞にもなったため、皆さんも知っていると思いますが、その意味するところに関してはいくつかの誤解があるようです。

 まず、ハラスメントというとすぐに男性が加害者で女性が被害者の場合を連想しますが、ハラスメントはこれに限らず、女性が加害者で男性が被害者、加害者・被害者とも同姓の場合もあります。また、何らかの特権を有する者(職場での上司や大学教員など)がそれを利用し性的いやがらせをすることがハラスメントだと考えがちですが、これはハラスメントの一部である代償型を示しており、何の特権を持たない者でもまた特権を利用しない場合でも、その人が行う性的言動により修学および研究教育環境が著しく悪化する場合には、ハラスメント(環境型)になります。したがって、ハラスメントは、学生同士や学生から教員へという関係でも発生し得るのです。

 ハラスメントを考える上でもうひとつ大切なことは、ある人が行う性的言動がハラスメントになるかどうかは言動を受けた側がそれを「不快」に思うかどうかによって決まるという点です。このことは、言動を発する側の意識にかかわらずハラスメントが起こることを意味しています。だから、「私はハラスメントを行うつもりが無いから大丈夫」という考えは間違いです。もし意識的にハラスメントを行っているとしたら言語同断ですが、本人が意識していなくてもハラスメントを引き起こすことがあり得るということを忘れてはなりません。また、「どこまでが常識の範囲か」といった議論もまったく意味をなさないこともわかっていただけると思います。ハラスメントかどうかが言動を受けた側の不快感によって決まることを考えるならば、受けた人によって、また誰から受けるかによって不快感が異なるのは人間として当然のことでしょう。

未然に防ぐことが最善の策

 以上のことからもわかるように、私たちは誰でもハラスメントの被害者や加害者になる可能性を持っています。修学および研究環境を阻害するハラスメントは、それを基本的使命とする大学にとって解決すべき最優先課題のひとつだと言えましょう。まして、同和問題をはじめ、民族問題、障害者や女性問題などの人権侵害に積極的に取り組んできた大阪市立大学にとって無視できない問題です。

 ところが、日本人は事が起こってから(正確には問題が公になってから)対処方法を考える傾向があります。要らぬ詮索をされないための処世術でしょうか。しかし、ハラスメントに関しては、これが事態を深刻化させる大きな要因になるのです。

 良し悪しは別にして、今の日本において事が公になれば、ハラスメントの加害者はそれが意識的か否かにかかわらず社会的に大きな制裁を受けることになります。一方、被害者の方は、事を公にすることでプライバシ−の侵害という新たな人権侵害に直面することになり、事態が改善されるかというと必ずしもそうだとは言えません。これが問題を隠蔽させ事態をさらに悪化させる要因になっているのです。隠蔽を防ぐために、ハラスメントを受けた側が事を公にすることで何からの恩恵を受けるようなインセンティブを与えることも考えられますが、これも必ずしも得策だとは言えません。事実、ハラスメントの告訴を起こすことで多額の賠償が期待できるアメリカでは、制度を悪用する者があらわれ問題になっています。

 こうして考えてみると、ハラスメントに対する最善の策は、誰もがハラスメントを起こし得ること、また既に起こしていることを前提として、深刻になる前にできるだけ早く対処し解決策を見いだすことだと言えます。何がハラスメントで何がハラスメントで無いのかといった議論やハラスメントが良いか悪いかといった議論は、問題の解決にとって何の役にも立ちません。重要なのは、早く「不快」な状況を取り除き、より良い修学および研究教育の場を提供することにあります。そのためには、ハラスメントに関する問題を受け付け、改善策を考えるプライバシ−の問題に十分配慮した公式・非公式の窓口やカウンセリング制度が必要です。

被害者にも加害者にもならないために

 今年はじめ紙面をにぎわした米国三菱自動車製造のハラスメント問題は、ハラスメントの当事者だけではなく、それを放置しておいた経営者も非難の対象になりました。日本でも同じような問題が起こっています。ニュ−スでも取り上げられた広島のある大学のハラスメント問題でも、当事者とともに事前に何の対処方法を用意していなかった大学当局の姿勢が問題視されました。

 関西の3人の教授が行った大学でのハラスメントに関する調査結果(日経新聞1995年10月25日夕刊)では、1280人のうち280人がハラスメントを体験したと回答しています。ハラスメントはどの大学にも存在します。むしろ、人間が集まり深く議論する中で新たな英知を見いだそうとする大学においてハラスメントが存在しない方が不思議だと言えます。性別・年齢・身分にかかわらず誰もがハラスメントの被害者になり得るのです。誰もが自覚なしにハラスメントの加害者にもなり得るのです。自覚が無ければ改めようがありません。また、意識し過ぎてコニュニケ−ションがうまく行われず、修学や研究教育に支障をしたすのも問題だと思います。私は被害者にも加害者にもなりたくはありません。事態が深刻になる前に両者にとって最善の策を見つけること、それを可能にするための環境整備が今私たちに求められています。